姑編

お昼過ぎに、近くのスーパーの隣の広場で良順先生のとこの事務長とすれ違った。こないだの電話のお詫びをしたら、ちっとも怒ってなくって、改めて、この診療所に関わる人達の懐の深さとか、優しさを感じた。
「今度倒れたら、よろしくお願いしますm(__)m」と頭を下げたら、
「良順先生にはお話してあるから、いつでもどうぞ。大変ですね。」と言われた。
帰宅して夫に話すと、あんまり嬉しそうでもなかった。
気持ちはよく分かるから、
「まぁ、義兄夫婦に頼まれたら、あそこに入院させるけど、そうじゃなかったら、放置するよ。」と言っておいた。別に私も入院患者を紹介したからって、儲ける訳でもないし、面倒なことに関わりたくはないから。
30年近くの付き合いで、本当にいい人達。
舅の最期は自宅で殆ど毎日モルヒネなど点滴して貰うために往診して貰ったし、丁度息を引き取った時に居合わせて貰ってなかったのだけど、(なにしろ、家族も知らない間のことだった)警察が入らないように便宜をはかって貰った。(病院で亡くなった時はどうだか知らないけど、自宅で知らない間に亡くなったりすると、変死ということで、警察の取調べがあるらしい。)
で、お葬式の時には婦長さんがお焼香に来てくれた。
その頃はまだ夫のC型肝炎は発覚してなくて、子供達も元気だから、それまで殆ど縁遠くなっていたのだけれど。
舅が骨癌宣告されて、最初の病院から、紹介されたのは街中の市民病院だったのだけど、舅は余命3ヶ月だというのに、放射線照射されたり、CTだの心肺機能だの連日大変だった。しかも、病室には殆ど助かる見込みのない人ばかりで、毎日のように隣のベッドの人が亡くなるようなところ。医師も殆ど回診なんて来ないような。
それで、良順先生にお願いして入院させて貰った。で、もう長くはないからってことで、自宅で介護だったのだけど、その頃はまだ姑も元気だったから、兄嫁と私はほぼ一日交替で手伝いに通った。舅の介護は嫌だったけど、姑と比べると、随分人柄がよかったような気がする。あんまり我儘は言わなかったから、今みたいに、顔も見たくないって気持ちにはならなかった。
つくづくと、姑と夫が実の親子でなくてよかった。あの人の血を受け継いでるってのは耐えられないかもなんて思う程、嫌だ。