グラン・トリノ

夫のたっての希望で。重そうな内容という予備知識があるとどうしても腰が重くなる。同じような理由でスラムドッグは却下。多分TVでやっても観ない予想。
グラン・トリノが車の名前だってことも殆ど知らなかったのだけど、一秒たりとも落ちなかったので、よい映画だったんだと思う。(落ちるか否かが基準だという低レベル)冒頭のお葬式のシーン、いつか目の当たりにしたことがある。舅の葬式の際のうちの子供たちの反応と似ていた。勿論臍ピーなんてしてないし、メール打ったりもしなかったけど、どこか他人事という態度だったのは同じだ。主人公は戦争体験のある長年組み立て工をやった頑固なGさんクリント・イーストウッドで、その頑固さとかも似通っていたけど、舅も優秀な仕上げ工だった。なので、舅とかぶったりした。うちの場合舅の方が先に亡くなったんだけど、舅も工具を使って色々なことやってた。この映画の主人公のように見事な工具類はなかったけど。そして、死というものに対しては何の心の準備もないままに、と言うより、何もかも分からないままに骨癌末期と診断されたことも分からないままに、最後の3ヶ月は痛み止めのモルヒネ点滴とオムツの日々だった。この主人公はある意味最高の死に際だったような気がする。自分の余命とか信条とか気持ちとかをよくよく考慮した上で、自分自身納得のいく死を迎えるなんてことは、これ以上の贅沢ってないよなぁと感じた。普通の人はここまでカッコよくは死ねないんじゃないか?と思うし、自分自身も出来ることなら、こういう風にと思うけど、中々そんなに都合よくはいかないもんだ。姑だってまだまだ生きるつもりの突然の死だったみたいだし。
それにしても、キリスト教と地域の結びつきのようなものがちょっと羨ましくもあった。日本の仏教の場合あそこまでのフォローはしない。お葬式だとか、法事だとかでお経をあげて、それで終わりのような感じがする。例えば、ラ・サール修道会にしたって、元は貧しい子供達の救済とかで学校を作ったりしたのだろうけれど、仏教の場合はどうなんだろう?良寛様の話とかも思い出せるけれど、中々市井で日々地域と交流してるって姿は見かけないような気がする。なので、例えば家屋を寺に寄付するなんて話も聞いたことがない気がする。まぁ私の周りだけのことだけど。